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復興途上 荒浜

由来

 
亘理町の「亘理」の地名は、阿武隈川を渡るところの「渡」という説やアイヌ語で「ワッタラ」といい、また船で上陸したことを「ワッタリ」といったので、やがて「亘理」という地名になったとも言われています。荒浜地区の歴史は古く、藩政時代は太平洋と阿武隈川の船運で穀物類を集散した中継基地があり、江戸方面に輸送した呑吐港として大いに栄えました。特に寛文11年に幕命により、政商・河村端軒(瑞賢)が 荒浜港から江戸に至る内川江戸廻り航路に改革を加えて以来いっそう盛んになったという記録が残っています。かつて荒浜小学校付近は13の米倉が立ち並び、常に米俵が一杯に積み重ねられ、また中学校付近にも米の集荷・売渡をする木造の大倉があり、現在でも東木倉や西木倉という地名がそのまま残っています。
 
 

気候風土

 
 気候的には東北の湘南とも言われるほど温暖な地域で、冬の降雪量も少なく、積雪も年に数回程度です。夏は太平洋からの涼風が過ごし易い環境を醸成し、荒浜海水浴場は多くの親子連れでにぎわいます。また荒浜海岸は1年を通してサーファーから絶大な人気があり、週末は山形県や秋田県ナンバーの車両も見受けられる程の夏レジャーの人気スポットです。気候風土の良さから、老後を暮らしやすい環境の中で楽しみたいと、亘理町へ転入を希望している方々や別荘で週末を過ごす方々もおられます

参考文献

 「宮城県地名考 亘理郡の地名」  菊地勝之助著
 「川村瑞賢みちのく廻船改革」     長内國俊著
 
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